娘3人の子育てが一段落した48歳でIT系スタートアップに再就職。転職先の和装メーカーでECサイトを軌道に乗せながらも、定年までのキャリアプランに疑問を感じて53歳で退職した神谷敦子さん(58歳)。ほれ込んだ商品を世に広めたいとの思いを胸に、フリーランスのPRとなった彼女は、さらなる夢に向かっていく。

(上)48歳からの働き直し 初めて夫の扶養から外れた喜び
(下)56歳で単身上京&フリーに 自分軸で生きる時間に感謝 ←今回はココ

 再就職後、2つの会社で6年働き、独立することを決意した神谷さん。「ただ、何を事業の柱とするか、なかなか決められませんでした」。当初模索したのはコーチ業。「ストレスと体調不良で落ち込んでいたとき、コーチングを受け、救われたことがありました。その経験から、人を元気にしたいとコーチングスクールで学び、スクールの認定資格も取りました。ただ知り合いの経営者からは、『未経験の領域で独立するのは至難の業。職歴を振り返って強みを見つけ、それを生かせる仕事をしては』と助言されました

 携わってきた仕事、仕事を通じて得た気付きを書き出した結果、神谷さんは「自分の得意分野は、モノの作り手の企業と、使い手のユーザーをつなぐこと」だと気づいた。「素晴らしい商品やサービスを作っているのに、うまく情報発信できずにいる中小企業やスタートアップをサポートすべく、企業のPRを仕事にしようと決めました」

1年半前に白髪染めをやめ、思い切ってグレーヘアに。「年齢を前向きに受け入れられるようになりました。以前よりもオシャレに気を配るようになり、ネイリストさんに爪をきれいにしてもらうのが楽しみのです」
1年半前に白髪染めをやめ、思い切ってグレーヘアに。「年齢を前向きに受け入れられるようになりました。以前よりもオシャレに気を配るようになり、ネイリストさんに爪をきれいにしてもらうのが楽しみのです」

「絶対に一緒に仕事をしたい」会社に売り込む

 セミナーを受講し、書籍でPR業務やマーケティングの基礎を学び、退職から半年後に開業届を提出。中小企業の経営者が集まる会議で人脈を広げつつ、「絶対一緒に仕事をしたい」と心に決めた企業にターゲットを絞り、声をかけた。

 その1社が「1ユーザーとしてほれ込んだ」名古屋の手帳メーカー・伊藤手帳。同社のECサイトの問い合わせページに、看板商品であるセパレートダイアリーの感想や、使い勝手をより高めるための意見を記すと、社長から直々に返信が来た。そこですかさず工場見学をしたいと依頼。製造工程や手帳の開発に関わるストーリーを取材した上で、「この手帳の良さを伝えるには、SNSやリリースを使った情報発信が必須。自分にPRをさせてほしい」と訴えたが、まだその時期ではない、とやんわり断られてしまった。

 それでも神谷さんはくじけなかった。