フリーランスの企業PRとして働く神谷敦子さん(58歳)。子育て中に身に付けたWEBのスキルを生かし、48歳でITベンチャーに再就職し、50歳で和装メーカーに転職。54歳で独立後、家族を大阪に残して「憧れだった」東京に単身で引っ越し。PR業務にまい進している。華やかなイメージがあるPRの世界に身を置きつつ、「抜きんでた経歴も肩書も自分には無縁です」と語る、神谷さんの働き直しの記録とは。

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(下)56歳で単身上京&フリーに 自分軸で生きる時間に感謝

親戚関係に悩んだ30代、振り返れば暗黒時代だった

 愛知県名古屋市の事務職OLだった神谷さんが結婚したのは25歳のとき。「新居は県内の東部。名古屋に通うには遠く、やむなく寿退社しましたが、何かしら仕事はしたかった。ただ、30数年前の地方都市でやりがいある仕事を見つけるのは、今以上に困難。ようやく飲料メーカーのルート営業の仕事を見つけ、家事の傍ら月に15日ほど働きました」

 28歳でルート営業の仕事を辞め、「愛知県内の閉鎖的な田舎町」で夫の両親との同居を開始。子宝に恵まれ、3人の子どもを授かるも「28歳からの11年は暗黒時代でした」。近くに住んでいた夫の弟や妹にとって、両親の家はフリーパスの天国。「だから気楽に自分の子どもを預けに来る。私は娘たちの子育てで寝る間もないのに、おいやめいの食事や入浴の世話もしていたんです。その上、義母からは『嫁なら当然』と、料理や掃除洗濯も完璧にこなすよう求められました。夫のことは嫌いじゃなかったけれど、離婚を考えることもありました」

子ども3人の子育てを終え、56歳から人生初の一人暮らしを東京で満喫中。両親の介護が始まるまでは、東京でフリーランスの仕事をしながら暮らす予定だ
子ども3人の子育てを終え、56歳から人生初の一人暮らしを東京で満喫中。両親の介護が始まるまでは、東京でフリーランスの仕事をしながら暮らす予定だ

 転機となったのは夫の転勤。「『長男一家が実家を出るなんて』との恨み節を振り切り、一家5人で大阪に転居しました。義母の干渉が強すぎて、このままでは家族が壊れてしまうという思いもありました」

 同居中は「専業主婦では終わりたくない」と、もんもんとしていた。とはいえ大阪に転居後も、幼い子がいては働きに出られない。だが思わぬところから「チャンスの蜘蛛(くも)の糸」が下りてきた。子育ての合間を縫い、当時黎明(れいめい)期だったインターネットの魅力に目覚めた神谷さんは、女性が語り合える場を作りたいと掲示板を運営。それを見たある企業から、コミュニティーサイトの管理業務を依頼されたのだ。「報酬は微々たるもの。それでも趣味が仕事につながったことがうれしかった」