アスリートの健康やパフォーマンスを支えるうえで大切なのは食事です。今やスポーツチームなどに健康的な食を提供する会社を経営する村野明子さんが、最初に選手の食事を作ってほしいと言われたとき、料理経験といえば家族のために作る家庭料理だけでした。自宅で試行錯誤しながら始めたことが、村野さんの人生を思いがけない方向に導いたといいます。
(上)「ママの夢は?」で専業主婦からの挑戦、Jリーグ寮母に ←今回はココ
(下)専業主婦→Jリーグ寮母→起業 家庭料理が選手を支える
編集部(以下、略) 村野さんは、以前は食と関係ない業種の仕事をしていたそうですね。
村野明子さん(以下、村野) ええ、高校卒業後、化粧品メーカーに入社し、百貨店でビューティーアドバイザーの仕事をしていましたが、結婚を機に外資系の化粧品会社に転職、1995年に長男の出産を機に退職して専業主婦になり、子育てに専念していました。
仕事を手放すときは、結婚や出産という大きなイベントに伴うものだったので前向きな気持ちで退社したのですが、子育てだけをしていると、子どもはかわいいけれど社会から取り残されていくような感覚がどこかであったんです。
「ママの夢は何?」と聞かれて気づいた自分の気持ち
村野 とはいえ、子どもたちもまだ小さいし、何かしたいと思っても販売の経験しかなく、全く新しい仕事に挑戦する勇気もなくて。当時幼稚園児だった長男に「ママの夢は何?」と聞かれて、夢を見てはいけないと思っている自分に気づきました。
何かしたいと思い始めて、自分ができることをノートに書き出してみたんです。「化粧品販売はできる」「接客も経験がある」「料理が好き」……。
自宅でご飯を土鍋で炊いて出すと夫が喜ぶのですが、そんなふうに誰かのために一手間かけた料理には価値があるんじゃないかなと考えたんです。そこから、お弁当屋さんや定食屋さんをやりたいなと思うようになっていました。
その頃、東京で日本サッカー協会の仕事をしていた夫が、2002年のワールドカップ終了後にコンサドーレ札幌というチームで働くことになりました。当時義母の体調が悪くてサポートが必要だったので、私と子どもたちは札幌に行かず東京に残っていたのですが、義母が亡くなってしまったんです。
その後、以前働いていた化粧品会社から仕事に復帰しないかと声をかけてもらいました。「私にもオファーがきた!」とうれしかったんですが、同時に夫から「チームの選手たちの食事環境を整えたいからご飯をつくってほしい」と依頼されたんです。
―― いきなり2つの選択肢が目の前に現れたんですね!