思いあぐねた早川さんは、改めて同社で働きたいという熱意を伝え、PTA活動のこと、人をまとめることも得意だとアピール。まずは週2回、13時から17時のパートという条件で採用された。

 「派遣で働く人たちが記入する勤務表を管理する部署で働くことになりました。『仕事をいただけるなら』と、ありがたかったですね」

「個人」として認められる幸せを感じた

 15年ぶりに働いてみると、金銭的なことよりも、「妻」でもなく「母」でもなく「個人」として認められることが何よりも幸せだった。当時、社長はまだ30代前半。20代が多い若い会社で、社内は活気にあふれていた。週2回・午後だけから始まった仕事は、午前からシフトに入るようになり、だんだん仕事量が増えていった。

 「私が働くことについては娘たちも賛成してくれました。それまではいつもジーンズをはいて走り回っていたので、『お母さんがスカートをはいてキレイな格好で出掛ける』のが新鮮だったようです。私の帰りが遅い日は、自分たちで夕食を温めて食べるのも、大人になったようでうれしかったみたいですね」

 派遣スタッフのタイムシートを管理する部門は月末・月初が繁忙期だ。「自分にはまだスキルがない」と自覚していた早川さんは、「繁忙期の残業で評価を上げるしかない」と腹をくくる。朝5時起きで、朝食と夕食、娘たちのお弁当の準備をして出掛ける日もあった。「次は週5日のシフトに」「いつかは正社員になりたい」と自分で目標を立て、セカンドキャリアを歩み出した──。

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週2回のパートから出発 念願のコーディネーター職に

取材・文/三浦香代子 写真/工藤朋子