踏み出して気付いた「私が目指すべき道」

 専業主婦を経て、パートの実験助手から大学常勤講師へのステップアップは、はたから見ると輝かしいキャリアの階段を上がっているように見えるが、「その先のキャリアを考えると大学の先生という選択肢もあります。でも、私は黙々と研究を突き詰めていくタイプではないと気づきました。それよりも、組織の中でチームメンバーと一緒にプロジェクトを進めていく仕事のほうが好きだと改めて感じたのです。

 また、同時に、大学の先生たちは産学連携のために産業界や一般の人に分かりやすい言葉で自らの研究を伝えられることが求められ、時間を取られていました。『研究者は思い切り研究をしてほしい。そうしたら、科学を伝える専門家が必要になるのではないか』というニーズにも気づきました」

37歳で見つけたやりたいことと学び直し

 ちょうど、夫が再度転職をして東京に戻ることになったのを機に、大石さんは、「科学を伝える仕事に就きたい」と科学技術ジャーナリストを養成する大学院に通うことを決意。長男が7歳、長女が3歳、自身が37歳のときだった。

 30代後半から、二人の小さな子どもを育てながらの学び直しをするのは、容易ではなかった。大学院と子育ての両立は、近くに住む元エンジニアの父と専業主婦の母が「働くことを応援したい」と全面的に協力してくれた。学びの資金は大石さん自身の貯金と親からの援助で賄い、2年間で第二の専門性を身に付けられるように必死に勉強した。

 「ただ、こんなにお金をかけて学んでおいて、私はちゃんと学びを世の中に還元できるのだろうかという不安がいつもありました」。

「学び直しをしても、不安はずっと心の中にありました」
「学び直しをしても、不安はずっと心の中にありました」

 大学院卒業に合わせて就活をしても、「子育て中で残業ができない、管理職経験のない38歳の私には、正社員の仕事なんてありません。働き続けた人だけが走れる高速道路から降りた感覚がずっとありましたね

一生懸命働いても「中途半端な自分」

 大学院のプログラムでライティングの実務経験を積み、時々フリーのライター仕事は舞い込むが、収入は微々たるもの。「一生懸命働いても年齢や経験に応じて収入が増えることはなく、納税額も小さい。社会人としても主婦としても半人前な感じで……。こんな私は社会のお荷物ではないかと、ずっと引け目を感じながら過ごしていました

 だが、大石さんはここで諦めることはなかった。「働きたい」一心で、サイエンスライティングの講座の講師をしたり、フリーのライターの仕事をしたり。たとえ収入が扶養の範囲を超えることがなくても、仕事量に波があっても、一つひとつの仕事を積み重ねた。

 そして、40代後半に第2の転機が訪れる。48歳でもう一度、本気の再就職活動を始めたのだ。思うようには進まなかった。挫折や屈辱も味わった。それでも大石さんは思い切って未開の地に一歩踏み出し、50歳になる直前に思いがけない大きな収穫を得た。

後編は9月4日に公開します。

取材・文/金子美智子 写真/小野さやか