20代後半で製本に出会い、当時の日本ではほとんど取り組む人がいなかった西洋古書の修復に興味を抱くようになった板倉正子さん(72歳)。修復技術を学べる学校を自力で探し、42歳のとき、学校のあるスイスへ旅立つ。帰国後は日本各地でひっそりと眠っていた西洋古書を修復するかたわら、培った製本修復の技を後進に伝える教室を設立。「本が壊れることは、情報が破壊されること。それをこの手で食い止めたい」との思いを胸に、文化財保護にまい進していく。

(上)本物を学ぶ 42歳、単身飛び込んだスイス古書修復学校
(下)本は後世に継ぐべき宝 国が修復しないならこの手で守る ←今回はココ

 4カ月間スイスに滞在し、古書修復の技術と、修復士が守るべきガイドライン(保存基準)を現地の学校で学んだ板倉さん。日本各地の大学や図書館の収蔵庫で、修復されぬまま眠り続ける貴重な古書を次世代に受け継ごうと、帰国後、大学や図書館に声をかけ、修復を積極的に請け負った。

国がやらないなら、自分で修復士を育てるしかない

 板倉さんが視察した米国の図書館や、スイスでの研修の後に立ち寄ったヨーロッパ各国の図書館は、1800年~1850年までに印刷された古書を特に「貴重書」として区別。これらを大切に保管したり展示したりする一方、館内に修復室を持ち、専門技術者である修復士が貴重書の修復に当たっていた。貴重書を重視するのは、その国が本をリスペクトし、次代に受け継ぐべき文化財ととらえていることの表れ。日本もそうあるべきだと考えた板倉さんは、国会図書館が修復士の養成を行ってはどうかと、国や同館に提案し、陳情を繰り返した

 「でも残念ながら事態は動きませんでした。かといって何もせず手をこまねいていても人材は育ちません。その間にも古書の経年劣化は進み、時間がたつほど修復が難しくなってしまいます。『国が動かないなら、修復法と修復の理念を学んできた自分が技術と知識を伝え、日本における古書修復の裾野を広げるしかない』と腹をくくりました」

 公民館で製本を教えたかつての生徒たちに「本の修復を学んでみませんか」と声をかけると、「こうした教室を待っていた」と、図書館に勤める人など約20人が応募してきた。そこで初級と中級のカリキュラムを組み、製本と修復の教室をスタート。同時に、修復に関する研究事業や情報発信を行う研究会も立ち上げた。

古書修復の道具の一部。表装の素材によって必要な道具も技術も変わる
古書修復の道具の一部。表装の素材によって必要な道具も技術も変わる

 数年後、マンションの一室を購入し、新たな教室とした。ところが新教室に移ったとたん、波が引くように生徒が減ってしまった。