国連機関などで一貫して途上国支援に従事し、現在は笹川平和財団ジェンダーイノベーション事業グループでグループ長として働く松野文香(あやか)さん。その経歴からは、世界を舞台に順調にキャリアを重ねてきた様子を想像するが、実は30代後半から9年あまりの間、家族の事情で仕事を中断せざるを得ない時期があった。葛藤の日々を、働くことへの変わらぬ意欲と「とにかく行動すること」で乗り越えてきたという松野さんに、キャリアの歩みを振り返ってもらった。

(上)国連機関でキャリア形成、30代半ばで予期せぬ長期中断 ←今回はココ
(下)厚かった再就職の壁 それでも行動し続けて道が開けた

11歳のときにインドネシアで目にした格差に衝撃

 2017年から女性のエンパワーメントを新たな活動の柱に掲げている笹川平和財団で、アジア地域の女性の経済的エンパワーメントや、起業家支援プログラムに携わっている松野さん。国際関係の仕事に対する興味が初めて芽生えたのは11歳のとき。子どもの情操教育を行っている団体が企画した「子ども親善大使」というプログラムに参加してインドネシアへ行ったことが、強烈な原体験として今も記憶に残っているという。

笹川平和財団ジェンダーイノベーション事業グループのグループ長を務める松野文香さん。「これまでいろんな国で生活してきましたが、どんな環境でもストレスなく暮らせる適応能力は、雑草のようだなと思っています」
笹川平和財団ジェンダーイノベーション事業グループのグループ長を務める松野文香さん。「これまでいろんな国で生活してきましたが、どんな環境でもストレスなく暮らせる適応能力は、雑草のようだなと思っています」

 「インドネシアには3週間ほど滞在したのですが、そのうち1週間はものすごいお金持ちの家にホームステイさせてもらいました。大きな家には一部屋ごとにお手伝いさんがいて、車は7台くらいあって。そのホストファミリーに、なにやら声をかけられて車に乗せられたんです。

 インドネシア語も英語もしゃべれないので詳しいことがよく分からないまま車は出発。すると、車窓の風景がどんどん変わっていきました。一体どこへ連れて行かれるんだろうと不安が増す中、たどりついたのはいわゆる貧民窟。そこでは、車椅子に乗った小児まひの子どものためにバースデーパーティーが催されていました。ホストファミリーの慈善活動だったと後で分かりましたが、他にも汚れた身なりの子どもたちが大勢集まっていて、とにかくびっくりしました。

 日本にいたときには、とんでもないお金持ちも、極度に貧しい人たちも見たことがありません。両方のギャップがあまりにも大きすぎて、『なんでこんなことになっているんだろう。世界ってなんだかすごい』と、強く印象に残りました。それからはずっと、世界について学びたい、将来は国際関係に関わることがしたいと思っていました」

 大学ではかねて希望してきた国際関係を学び、スペイン留学なども経験しながら進路を模索した松野さん。新卒で選んだのは、意外にもNHKのディレクター職。その選択にもある異文化体験が影響していた。