家族の事情で一時的に仕事を離れるはずが…

 国連機関の職員は期限付きの雇用で、次に働くところを自分で探していく必要がある。バングラデシュで働き続けたいと思ったものの、ポストに空きがなかったため、松野さんは国際労働機関(ILO)に職を得て移ることに。「ILOでは児童労働撤廃プログラムを担当したのですが、最初に配属されたスイス・ジュネーブの本部では書類仕事が中心。支援する相手が見えるところで仕事をしたい私にとってはちょっと違うなという思いはありました。ただ、この時期に米国人と結婚して、彼がタイに自分の仕事を見つけてくれたんですね。それで私も『バンコクオフィスに行きたい』と職場で手を挙げたところ、赴任できることになりました」

 バンコクではカンボジア、ベトナム、インドネシアなど東南アジア各国を回る機会も多く、ジュネーブに比べて支援先が身近に。プライベートでは第1子の長女と第2子の長男を出産し、公私ともに充実した日々を送るが、30代半ばにさしかかった頃、そんな生活に変化が訪れる。夫がタイでの仕事に区切りをつけ、新境地を開くために誘いを受けて別の会社で働くことに。勤務地は中東のドバイだった。

 「2人目が生まれたばかりだし、私ももう少し時間をつくって家族と一緒に過ごしたいなと思ってしまったんですね。ILOの仕事は、3年くらいは籍を置いたまま休職できるということだったので、夫についていくことにしました

 仕事を休むのはあくまで期間限定。今は家族との時間を楽しもう――そう思っていた松野さんだったが、現実は予想外の方向へ進んでいく。夫の仕事先が数年単位で変わり、住む場所が国をまたいでめまぐるしく変化。腰を落ち着けて自身のキャリアと向き合うこともままならない、10年弱に及ぶ壮大な「ワールドツアー」の始まりだった。

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取材・文/谷口絵美(日経xwoman ARIA) 写真/鈴木愛子