海外帯同妻だけど、家でじっとしていられない

 それは、結婚するためだ。

 ピッツバーグ大学の留学中に知り合った日本人留学生の彼(今の夫)と、結婚の約束をしていたのだ。「当時、私は31歳。開発援助の仕事はこの先、いろんな形でできるかもしれないけれど、この人との結婚のチャンスはこの一度しかない、と思ったのです」。長男が生まれ、翌年には、夫の勤め先となるニューヨーク州北部にあるバッファローに転居した。

 「ベトナムでの仕事が楽しかったんでしょうね。『せっかく会社を辞めて大学院まで行ったのに……』と夫に愚痴ることもありました。このまま私はどうなってしまうのか。バッファローは自然が豊かでいいところですがとにかく田舎町です。私が興味のある開発援助の団体もありません。子どもの預け先もなく、結婚後3年間は完全な専業主婦でした」

 だが、入山さんは「家の中でじっとしていられないタイプ」だった

まずは「無給」で働いてみる

 バッファローに住む日本人の連絡会である日本人会で、ニュースレターの編集を手伝い、最後は役員を引き受けるなど、できる範囲の活動には積極的に参加した。長男が2歳になってからは、「いずれ通うことになる現地校に慣れさせるために」と、仕事をしていなくても利用できるデイケア(日本でいう保育園)に子どもを預けた。

 「空いた時間で少しでも開発援助にかかわりたい」とミャンマー難民の受け入れを支援するNGOを見つけ、インターンで仕事をするようになった。「仕事といってもビザの関係で働けないので、無給のボランティアです。私自身、社会とも接点を持ちたいと思っていたので、修行のつもりで働きました。週2回、午前中だけ。子どもを毎日預けるには不安もあったので、親子ともに『慣らし』になる、ちょうどいい時間でした」

「とにかく社会と接点を持ちたくて、無給でいいからと仕事を始めました」

 その後、長女も生まれ、2013年には家族で帰国。「『いつかはフルタイムで仕事を』という思いはありましたが、まずは週に2~3回、パートタイムでNGOの仕事を始めました」

 だが次第に、「もっと思い切り働いてみたい」という思いが蓄積されていく。