誰か新しい人と出会って、結婚したいわけじゃない。でも、これまで頑張ってきた分、ふと思うのです。これからの人生を一緒に歩むパートナーが欲しいって。

 10年たった今なら思える。ああ、「間違って」よかった。あのときにねじれたから、今の私がいるんだって。

あかりさん(仮名・50歳・離婚経験あり・息子とパートナーと同居中・大学・研究職)

 「なんだか“鎧(よろい)”を着ているみたいだね。思い切って、脱いでみたら? もっと人に甘えていいと思うよ」。不幸のどん底にいた私に、そんな言葉をかけてくれたのは、13歳上の「彼」だった。

 気づけばもう、10年も前のこと。当時、私は元夫の浮気が原因で離婚したばかり。誰かといないと正気を保てず、出会い系サイトを心のよりどころにしていた。今ではマッチングサイトというのだろう。そこで出会ったのが彼だった。外資系銀行の役員らしくスマートで、紳士的。その上、聞き上手で、セックスも上手という……。

 いや、何がうれしかったって、あるがままの“素”の私がいいと言ってくれたことだ。とても鷹揚(おうよう)な性格で、やせたならやせたなりに、太ったなら太ったなりに、年を取ったなら取ったなりに。自然でいることが一番、という彼の考えに触れるたび、私のささくれだって冷え切った心はまぁるく温められた。

 彼が夫だったらよかったのに、と想像せずにはいられなかった。仕事の相談にもよく乗ってくれ、私が胃潰瘍で倒れたときも見舞ってくれた。おかげで正気を取り戻せ、勝手だけど温めてもらう必要もなくなり、次第に疎遠になっていった。

彼がいたから、今の私がある
彼がいたから、今の私がある

 私を変えてくれたのは、間違いなくこの彼。刹那的で「間違った」関係ではあったけれど……。今、一緒に暮らすパートナーは彼と疎遠になった後に出会い、最初から“鎧”を脱ぐことができた相手。私が海外へ赴任していた3年半の間も別れの危機はなく、日本へ帰任後には私の息子と3人で暮らし始めて、「新しい家族」になることもできた。