家族や友人、健康や若さ、夢や希望、そして自分の命――人は生きている中でさまざまなものを失います。できれば避けて通りたいことですが、生きている限り、人は多くの「喪失」を体験します。大切な「何か」を失ったとき、悲しみにどう向き合って生きればいいのか。喪失の受け止め方はその後の人生に大きな影響を与えます。死生学を研究する関西学院大学の坂口幸弘教授とともに「喪失」について考えていきます。

(1)喪失は大切なものを持っていた証し 生きている限り失う ←今回はココ
(2)喪失の悲しみは徐々に変化 時には人間的成長の機会にも
(3)母ロスの悲しみ「死ぬまで続く」と思う女性たち 喪失学

人は生きている限りさまざまなものを失う

 最近は「ペットロス」「母ロス」などという言葉も使われるようになりましたが、人は生きている中でさまざまな喪失を体験します。命あるものは必ず滅び、出会った人とは必ず別れる日が来る。生きていれば喪失はつきもので、特に40代50代は家族や親しい人など、大切な人を失う経験が避けられません。人生は喪失の連続であるともいえるでしょう。喪失によって深く傷ついたり、落ち込んだりという体験をした人もいると思います。

 一方で、喪失を体験するということは、心から大切だと思える「何か」が存在したという証しでもあります。喪失自体は不幸な出来事ですが、喪失のある人生が必ずしも不幸であるとは限らない。何も失わない人生が幸せとは言い切れないと思います。

 私たちは日々の生活の中で、出会いや学び、地位や報酬など「何か」を得ることに注目し、多くを獲得することが人生を豊かにすると信じているように思えます。翻って、失うことはマイナスでしかないと感じられるかもしれません。でも、実際は人生において喪失は日常の中で繰り返され、喪失を経験しながら今を生きているのです。

誰しも日常の中でさまざまなものを手放しながら生きている
誰しも日常の中でさまざまなものを手放しながら生きている

喪失には失うものによって5つの分類がある

 では、喪失とはどういうものでしょうか。米国の社会心理学者のジョン・H・ハーヴェイは「重大な喪失」とは、「人が生活の中で感情的に投資している何かを失うこと」と定義しています。失われた対象が、個人的に思い入れのある何かであるということです。学術的にみると、喪失体験とは自らの生活や人生にとって大切な何かを失うことであり、主観的で個別性の高い体験だといえます。だからこそ、同じものを失っても、受け止め方は人によってさまざまで、当人は周囲が想像する以上に大きな衝撃を受けているかもしれません。

 深く心を寄せるものを失うような重大な喪失はライフサイクルのさまざまな局面で生じます。それは必ずしも悪い出来事だけでなく、結婚や子どもの誕生、進学、昇進など、良い出来事や変化にも伴います。新たな道に進むことは、これまで持っていた何かを手放すからです。喪失はどんな局面でも遭遇する身近な出来事なのです。

 喪失体験は失われた対象によって、1「人物」の喪失、2「所有物」の喪失、3「環境」の喪失、4「体の一部分」の喪失、5「目標や自己イメージ」の喪失――の5つに分類されます。