「真理は、大丈夫」と口にしていた父

 両親にとって私は遅く生まれた一人娘だったので、母は時折「どこに何があって、どうしていけばいいのか、真理に伝えなくていいの?」と、自分たちが先に逝くことを考えては父に話しかけていたようです。そんな時、父が決まって口にしたのは「真理は、大丈夫」だったとか。

 いやいや、遺される側からしたら何が大丈夫なのか皆目分からないし、教えといてくれないと! というのが本音です。ただ、私も心の奥底では、あの父がそう言うならジタバタしても仕方ないかと思っていたのも事実で。父が私を信じて、伝えない選択をしたのなら、私は私で父に聞かず何とかやっていくこと以外に父に応える道はないだろうと、結局父が倒れるまでその手の会話はしないままでした。

 今思うと、恐らく父は自分の商売や家について具体的な手順や方法をメモ書きで残すより、どんな時勢になったとしても己の判断と才覚で乗り切れと言いたかったのかもしれません。残念ながらそこまでの才覚はなく四苦八苦しましたが、心にも体幹という場所があるなら、結果として父との別れを通して随分と鍛えられたと感じています。

 言葉をかえれば、親しい方が旅立たれた日からしばらくは社会的申請やご葬儀など決め事の期日が詰まっていて、もしかしたら寂しさと向き合わせないために法律や届け出が設定されているのでは? と思うほど作業に追われます。大切な存在の“不在”という現実が、だんだんと身に染みるのは、仏教でいうところの四十九日、亡くなってからひと月、ふた月くらいが過ぎてからかもしれません。