父の社会的な死と、私にとっての父の死

 5年前に父を亡くしたとき、父個人の社会的な死と、私にとっての父の死=喪失感が並走する形で進みました。

 こうして分けた書き方をするのも変に思われるかもしれませんが、個人の“死”という事象は社会的にたくさんの届け出や行動を必要とします。死後7日以内に自治体に死亡届を提出することから始まり、火葬許可申請や世帯主の変更、健康保険や年金の資格喪失届などなど。その間にどのような葬送をするかの話し合いや決断、親戚や縁者の方々へのお知らせも同時進行となります。

 アナウンサーという職業柄、近年の税制改正によって相続税も変わるという話を金融関係の専門家からうかがう機会が増えましたが、いざというときに備えてご本人が遺言を記す、また家族で話し合っておくといった勧めをインタビューの結びの言葉として頂戴します。亡くなってから10カ月以内という相続税の申告期限を考えると、確かにできることならば公的に遺言と認められる形でご本人が意志を示し、家族や親戚でも忌憚なく相談できる雰囲気を作っておく方がいいのは明らかです。

 ただ、そこは家族によっても親子によっても、またご本人がどのように“死”と向き合っていらっしゃるかによっても違ってきます。“死”という誰しも避けては通れない現象にどう向き合うかは、他者には測れず、踏み込めない域。病を告知するか否かにも似て、ご本人とご家族が迷いつつ選択していく行動以外に正解はないのだろうと感じています。

11年、母と過ごしている我が家の福ネコ
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