ARIA世代には避けることのできないテーマ「親の介護」。終わりの見えない状態だと聞きますが、どれだけ大変なのでしょうか? 働きながら介護生活はできるのでしょうか? 両親の介護を20年間続けているアナウンサーの渡辺真理さんと、日経ARIA編集部が「親を介護するということ」をテーマに往復書簡で気持ちをつづります。

拝啓 渡辺真理様

 お手紙をありがとうございます。「時間やお金の使い方にこそ、その人の選択が表れるもの。小さな迷いや決断を毎日、繰り返しながら、振り返ったときに悔いの残らない過ごし方をしたいと願っています」というお言葉、大変共感しました。

 介護をされていると、「介護の終わり」を意識する瞬間もあるかと思います。いつか来るお母様との別れについて、その日を迎えることの、怖さや不安とどう向き合われているのか、心の準備などを教えていただけませんか。

敬具

拝啓 ARIA様

 お手紙、拝受いたしました。この往復書簡も今回でひと区切りですね。最後にお聞きになりたいのは、介護の終わり……つまり家族との別れに際しての準備とのこと、いつものように1サンプルではありますが、私自身の考えや体験をできる限りお話してみます。

 最近、実は友達と「準備」についておしゃべりしたところでした、ちょうど。同じ世代の友達は急に親御さんが緊急搬送されたりすることもあって、彼女いわく、いつかは……と頭で思っていても心の準備も生活面での体制も整っていなくて、どうすればよいのだろう……と。数年早く、親を看始めた私がそのとき、言えたことは「私も全く準備なんてできていなかった」という告白でした。

 彼女と同じように、私も頭では分かっていたのです。いつかは両親が患ったり、倒れたりする時がくるということを。そして、それがどういう形でやって来るのか全く分からないということも。ただそれ以前に、親の死を想像して準備を始める自分が生理的に嫌だったというのが本音かもしれません。“言霊”と古来、日本では言われるように、口に出すことでその言葉に宿っている力を引き出し、現実へと導いてしまうこともあるのでは……。そんな感覚で、考えることすら避けていた気がします。

母を見守りつつ、昼寝するネコ
母を見守りつつ、昼寝するネコ

 それでも、期せずして別れはやって来ます。当然なのですけれど。「当然のこと」を何度もこの往復書簡ではあらためて文字にしてきてしまいましたよね。気恥ずかしく思いつつ、それでも当然のこととしてやって来る人生の季節を振り返ることで何らかのお役に立てたらと願うばかりです。同時に今回も、いざというときのために準備したほうがいい、もしくは準備しなくてもいい、この二択ではないと感じていることもお伝えできればと思っています。