母は母なりに我慢してきたこともあるのでしょうけれど、反省する脳の機能よりも、自己肯定する機能のほうが勝っていくものなのかしら……と思うと、残りの人生、捨てたものではないかも、なんて楽しい予感すらしてきます。

「痛い!」と叫んだ母。ところが…

 母を看てくださる介護職の方々はもちろん母より年下になります。そんな若い世代に対して「ありがとう、どうか、あなたの身体を厭ってね」と、横たわったまま優しい言葉をかけようとする姿に、娘としては以前と変わらない母を見てうれしく、ホッとします。

 ただ、変わらないということは厳しさもしっかり変わっていないという一面も伴っているわけで。私が用意し、ヘルパーさんが配膳してくれた夕食を一瞥して「上等」と、静かにひと言、発することも。ヘルパーさんが私をちらっと見て「『上等』、いただきました」とニコッと笑ってくれる一幕です。

 こうして介護職の方々と協力し、支えていただきながらの毎日ですが、週に3度、訪問看護師さんが来てくださる時間は、体温や血圧測定の他、排便が滞っていないかなど、母にとっては全身診断というありがたくも、ちょっとしんどいひとときです。先日も看護師さんが「こんにちは!」と挨拶してくださった途端に母が「痛い!」と叫んだので、慌てて看護師さんとヘルパーさん、私がそろってベッドに駆け寄りました。

 「どこが痛いの? 足? 腰?」と痛みの原因を探ろうと母の身体を触診していたら、しばらく黙ってから「痛くなる」と。「え? ……予言?」と、看護師さん、ヘルパーさんと顔を見合わせ、思わず吹き出しました。診察室に入った子どもが、何とかお医者さんの診察をかわそうとするような母のとっさの策略。大人になるほど知恵はつくものですが、いつしかまとってきた老獪(ろうかい)さも狡猾(こうかつ)さも脱ぎ捨て、子どもに戻る以上にシンプルになっていけるのなら、たどり着いてみたい場所です。

「今シーズンの役目がそろそろ終了しそうな、湯たんぽ」