ARIA世代には避けることのできないテーマ「親の介護」。終わりの見えない状態だと聞きますが、どれだけ大変なのでしょうか? 働きながらの介護生活はできるのでしょうか? 両親の介護を20年間続けているアナウンサーの渡辺真理さんと、日経ARIA編集部が「親を介護するということ」をテーマに往復書簡で気持ちをつづります。

拝啓 渡辺真理様

 お手紙をありがとうございます。渡辺さんが、お母様の生活や、お気持ちを大切に考えていらっしゃることがよく分かりました。

 「うちの状態がしんどくない、大変じゃない、なんて逆立ちしても言えませんが、そんな中にも思わず笑っちゃうような瞬間はあって……」という文章がありましたが、介護の日々の中の笑いって? と興味津々です。ぜひ詳しく教えてください。

敬具

介護をしなくても、大変がって暮らしているかも

拝啓 ARIA様

 桜が舞い散り、新芽が勢いよく伸び始める季節となりました。

 おたより、ありがとうございました。先の私からのご返信の中で、え? 療養の季節に入った親と暮らす中での笑い? どんなふうに……? と、疑問に思われたのですね。

 確かに、介護という言葉の響きはつらそうだし、大変そうだし、介護する側もされる側も、身体的にも精神的にもしんどそうだし、明るい暮らしのイメージそのものが湧きにくいかもしれません。先のご返信にも書きましたけれど、私自身、大変じゃないわけでも、しんどくないわけでも全くないです。

 ただ、その大変さというのは、親と暮らしているからなのか? と自問すると、それだけが原因では全くないような気がしています。

 もちろん、母のことは何をしていても気になります。

今日は、機嫌よく食べてくれるかな?
水分は、ある程度取ってもらえるかな?
どこか痛くなったりしないかな?
そういえば、痛み止めの錠剤はまだ十分にあったかな?
水分補給の点滴をした翌日は日中も眠ってしまうので、私が仕事に出ている間にヘルパーさんが配膳してくれる時、苦労させていないかな?

など、いつも頭のどこかに母がいます。

 でも多分、こうして母が自宅で療養していなくても、私は仕事をしながら、スーパーで買い物をしながら、主人のことや家でまったり過ごしているはずのイヌやネコたちのことなど考えつつ、バタバタと立ち働いて、勝手に大変がって暮らしているだろうな、とも思うのですよね。

「母の部屋の窓から見える春の花々」