ARIA世代には避けることのできないテーマ「親の介護」。終わりの見えない状態だと聞きますが、どれだけ大変なのでしょうか? 働きながらの介護生活はできるのでしょうか? 両親の介護を20年間続けているアナウンサーの渡辺真理さんと、日経ARIA編集部が「親を介護するということ」をテーマに往復書簡で気持ちをつづります。

拝啓 渡辺真理様

 お父様、お母様の介護を合わせて20年間、続けられてきたと聞きました。これまで介護というと、「大変なもの」「終わりがない状態」という印象を持っていました。渡辺さんが介護をすることになった当初は、さぞ大変な状況だったことでしょう。この20年間、長い時間だったかと思われますが、お父様とお母様の介護はどのように始まり、どう向き合ってこられたのでしょうか。

拝啓 ARIA様

 こんにちは。アナウンサーの渡辺真理と申します。

 介護について、お聞きになりたいとのこと。もしかしたら、どこかで私が両親の介護について話しているのをお読みになったり、ご覧になったりしたのかなと想像しています。

 ここ数年、両親の介護について聞かれる機会が増えました。実をいうと、両親の介護については自分から率先して話したいことではないのですが、逆に隠すことでもないので、可能な範囲で話すようにしています。

 率先して話したくはないのはどうしてかというと、86歳になる母と暮らしていて、もしも自分が介護される側だったら、元気な時ならともかく、その姿をあからさまにされるのはちょっと勘弁してほしいなと思うのです。

 逆に、聞かれた時は可能な範囲でお答えしている理由は、昭和生まれの(私も昭和ですが)それも戦争体験のある親は、すごいなぁと思うことがよくあるんです。母は介護されていることをありがたい、というか、それを通り越して申し訳ない、介護職の方々の手をお借りしてもったいないと感じていて、自分の子どもほどの年齢のヘルパーさんに対して「ありがとう、あなたの体は大丈夫?」なんて気遣ったりする毎日。私の世代だったら(すみません、世代というと語弊があるかもしれません。私だったらの方が正確かも)「ちゃんと税金は払ってきたのだから、ある程度、看ていただいてもいいかな〜」なんて思っちゃいそうですけれど。

 体が利かなくなっても、これからの世代や社会の役に立ちたいと、どこかで願っていることが言葉や表情から伝わってきます。

 そんな親の願いを叶えていくためにも、まだまだ介護制度が十分とはいえないなかで、今後の方々のためにも話せることは話していかないと! と答えられる範囲でお話ししている次第です。

 このようなわけで、前置きをしますと(前置きが長いですよね)、単に、私は1サンプルにすぎません。「これが介護だ! と言えるような策も、手段も、解答もない」というのが20年、介護といわれる時間を過ごしてきて、今なお奮闘中の身からの実感です。