時には体の利かなくなった母にも叱咤(しった)される日々

 とはいえ、「解答はない」と言い切ってしまうと、最初のお手紙へのご返信がぞんざいに過ぎるので言葉を足すと、それぞれの親子関係だったり、それぞれの家庭事情、価値観や居心地のよさに沿って、介護し介護されるという生活形態もカスタマイズして編み出していく以外にない、というのが私が感じている正直なところです。

 でも考えてみれば、介護に限らず、何でもそうですよね?

 結婚も恋愛も、子育ても闘病も人生も、これが正解! なんて回答はまずないわけで。あれば本当に便利だけれど、ないからこそ、しんどいけれど面白い面もあったり。

 私も親との向き合い方、接し方、介護の仕方だけじゃなく、自分自身の人生もまだまだ迷うことだらけなので、日々ヘコんだり、自分を励ましたり、時には体の利かなくなってきた母に叱咤されながら毎日を過ごしています。

 こうして考えてみると、どこからが介護か? というと、これもハッキリと「この日からスタートした」と言い切れるラインも実はないのかもしれません。

ずっと帰りたがっていた家に父を迎えることができた日

 父が倒れた日ははっきり記憶しているのですが、もしもその後、回復していれば、その期間は療養だったと言えたのでしょうし、回復がままならず看病される日々が続いたことで、結果として「介護」だったと、問われた時にお答えしているのが実情です。

 父が倒れたのは1998年、私が31歳の時でした。小脳の脳内出血で、搬送された脳外科の病院で夜通し手術した結果、何とか一命を取り留めました。