「許し」と「ゆるし」

 ご相談の背景には、「許すべき」というような思考があるように感じます。「親は大切にすべき」「昔のことは許すべき」というような思考です。しかし、お母さんにひどいことをされたり言われたりして傷ついた、ということは事実です。そしてそれが、人間観に影響を与えてきたことも。「許すべき」を自分に押し付けてしまうと、許せていない自分を「過去にこだわり過ぎ」「人間が小さい」と感じてしまうでしょう。

 「ゆるし」をどう捉えるかによって、「ゆるせないのか」という問いに対する答えも変わってきます。安らかな気持ちになりたい、もっと自己肯定感を高めたい、という意味での「ゆるし」を実現したいのであれば(私はこれを、「ひらがなのゆるし」と呼んでいます)、まずは「あれだけのことをされたのだから、許せないことは仕方ない」と自分を受け入れるところからです。

 私は、「相手がした行為を大目に見る」というようなニュアンスの許しを「漢字の許し」と呼んでいます。「ひらがなのゆるし」が心に平和をもたらし自己肯定感を上げるのに対して、「漢字の許し」は、この人生では不可能なこともあるし、「ひらがなのゆるし」よりもずっと後になってから実現するかもしれません。「漢字の許し」ができるかどうかは、実は大した問題ではなく、「ひらがなのゆるし」こそが自己肯定感と直接関わってくるのです。