当時の女性の生き方としては、結婚も出産もかなり遅いほうでしたが、「今は子どもを優先したい」と思った時に、自分の意思で仕事を調整できるようになっていたことはよかったですね。若くて仕事も自分も不安定な時期に予定外の妊娠をしていたら、そうはいかなかったかもしれないですから。

 息子が6歳くらいの頃、ヨーロッパの大スターだったフリオ・イグレシアスを日本でも売り出そうというプロジェクトの一環で、私にマイアミ出張の依頼が来たんです。私自身も張り切って臨んでいた仕事で、旅支度をして「さぁ、出発」という朝、スーツケースを持って家の2階から下りようとしたら、息子が階段の下まで重いソファを移動させて“バリケード”を作っていたの。手にはパパのゴルフクラブを持って、「アメリカ反対! アメリカ反対!」って抗議のデモ。私の不在をなんとか食い止めようとしていたんですね。

 その姿を見て私もショックで。でも当日になってキャンセルはできないから「お土産たくさん買ってくるから、ね!」と息子を説得するんだけれど「お土産なんかいらないからおうちにいて!」って。ほとほと困っちゃって、義父に来てもらって「おじいちゃま、すみません。何とかお願いします」と頭を下げて、家を出ました。

 無事に飛行機には乗ったものの、「本当にこれでよかったのか? もしこの飛行機が落ちたら?」とグルグル考えてしまって。結果、その仕事は成功したけれど、「よかったとは言えない」という思いだけが残りました。以後、息子と天秤に掛けなければいけないような仕事の仕方はやめようと決めたんです。

やりたい仕事、会いたい人、旅先…「夢貯金」をしてきた

―― 子育てを優先し、好きな仕事をセーブすることへの悔しさとはどう折り合いをつけたのでしょうか?