音楽評論家、作詞家として50年以上のキャリアを持つ湯川れい子さん。仕事だけでなく、家族や恋愛・夫婦関係、子育て、そして闘病などにも触れた自伝が話題です。「女ですもの 泣きはしない」(「六本木心中」より)という自身の歌詞のように、さまざまな出来事にたくましく向き合ってきた湯川さんに、「女の人生」についてインタビューしました。第3回は40代にスタートした子育てがテーマです。

花になった気持ちでDNAを残したい、と思ったあの日

―― 湯川さんの人生にとって、40代とはどういう時期でしたか?

湯川 私の40代は、母としての人生の始まり。私は36歳で結婚して、不妊治療を経てやっと妊娠できたのが40歳の時。今でこそ40代の出産も珍しくなくなりましたけれど、当時は新聞に載っちゃうほどニュースな出来事でした。

 「本当に産めるのか。自分にそれができるのかしら」という不安もありましたけれど、どうしても「産みたい」と決心した自分がいたんです。その決心の根源にあったのは、きっと生き物としての本能みたいなものだったのでしょうね。

 20代も終わりに差し掛かってきた頃、私はものすごく仕事が忙しくなっていて、ほとんど寝ずに原稿を書く毎日が続いていました。うっすらと空が白み始めた明け方に、鏡の前で化粧を落としながら疲れ切った自分の顔を見つめて、「私、こんなにくたびれた顔をしてる。このままでいいのかな?」と考え込んでしまった。結婚をしたいというよりも、子どもを産みたい、と強く思ったんです。私の体をつくる60兆個の細胞が宿すDNAを、次の世代に渡さないまま枯れてしまっていいんだろうかと、まるで自分が花になったかのような気持ちで、胸の奥がザワザワと音を立てて。その頃、世に出ていた女性シンガーの歌も、影響していたかもしれないですね。

1979年、息子が3歳の時