たしか、あの歌詞を書いたのは、ニューヨークに向かう深夜便の中。アメリカでデビューしたばかりでグラミーの新人賞にノミネートされたシンディ・ローパーに会いに行くフライトに乗る前日に、メロディが入ったテープを渡されて。アン・ルイスとシンディを思い浮かべながら、そして私自身の人生も重ねながら浮かんだフレーズでした。

 後から聞いた話だと、この曲のヒットは新宿2丁目から火が付いたのだそうです。女性以上に女の本質が分かる方々に「そうよ、女はそうなのよ」と共感してもらえたのは、嬉しかったですね。もう30年以上前の曲になりますが、最近になってもJUJUさんがカバーしてくれたり、歌い継がれる曲になっていることも作詞家冥利に尽きます。

「この大切な仕事が、明日も続きますように」

―― 湯川さんご自身が駆け抜けたキャリアもまた、“男社会の中での闘い”だったかと思います。当初から「一生働き続けよう」という気持ちは強く持っていたのでしょうか。

湯川 いいえ、先のことは全く考えられませんでした。私が20代の頃は「女が一生仕事をまっとうする」という生き方さえあり得ないと思っていましたし。それに、働き続けようと意気込んだところで、一人でできることでもないでしょう?

「20代の頃は『女が一生仕事をまっとうする』という生き方さえあり得ないと思っていました」
「20代の頃は『女が一生仕事をまっとうする』という生き方さえあり得ないと思っていました」