相手を変えようとすると人間関係がおかしくなる

 先ほどの後輩の例で話を進めましょう。あなたの目には、後輩の仕事のやり方に、改善したほうがいいと思える点が見えました。だから「こうしたほうがいいよ」などとアドバイスした。これ自体は素晴らしい行為です。

 ただ、そのときのあなたのココロの中に、こんな考えが宿っていなかったでしょうか?

「この人のやり方はおかしい。変えるのが当然だ」。

 あなたのアドバイスが、客観的に見て正当なものであるほど、あなたは当たり前のように、こんな考えを持つでしょう。確かに、あなたが「正しい」のであれば、相手は「間違っている」わけですから、変わるべきは相手です。理屈ではそうなります。

 ですが、人間のココロは理屈だけでは動きません。たとえ正当な言い分でも、人から「変わりなさい!」と迫られると、誰しも反感を持つものです。

 そして実際、「相手が変わるのが当然」と考えるときの人間のココロでは、「善意」や「正しさ」といういかにも真っ当な理由の陰に、「人をいいなりにさせたい欲求=支配欲」が紛れ込みやすいのです。自分では気づきにくいですが、これは誰のココロにもある非常に強い欲求で、すきあらば作動しようとします。後輩の反発は、自分に向けられたあなたの支配欲を敏感に感じ、逃れようとしたのかもしれません。

 支配欲をベースに、一方が他方のいいなりになる形で結ばれた人間関係は不幸です。支配された側はもちろん、支配する側も決してハッピーになれません。いじめ、パワハラ、毒母など、最近は、人間関係の問題がよく社会的な話題になりますが、そのほとんどに支配欲が絡んでいます。

 私たちは、人のココロを変えることはできません。変えられるのは、自分のココロだけです。相手を変えようとするのは、相手をいいなりにさせようとする支配欲。だから、関係がおかしくなるのです。レッスン1では、自分の中の支配欲を見つめてみましょう。よかれと思ってやったことが裏目に出たようなとき、「相手が変わるのが当然」と思っていませんか。

Lesson1 善意の行為を通じて、相手を支配しようとしていませんか?
よかれと思った「善意」の行動の裏に、「相手は自分のいうことを聞いて当然」「感謝されて当たり前」といった気持ちが紛れ込んでいないだろうか? それは、相手を自分の思い通りに動かそうとする「支配欲」の表れ。相手は、支配欲から逃れようとして、反発するのだ。