悩んだり、イライラしたり、日々浮き沈みする心を穏やかにしたい……。そんな悩みに、心理カウンセラー僧侶の羽鳥裕明さんが寄り添い、仏教と心理学の視点からヒントをくれるこの連載。9回目は、周囲からの声に惑わされて、「やりたい気持ち」がグラつきそうになったとき。前に進んでいくためのヒントを探ります。

自分が純粋な心でやりたいと思っていることは必ず周囲の利益にもつながる。
自分が純粋な心でやりたいと思っていることは必ず周囲の利益にもつながる。

 自分を変えたい、新たなことに挑戦してみたい。そうやっていざ挑戦してみたものの、周囲から「難しいんじゃない?」「大丈夫?」という声が聞こえてくることがあります。その途端、「自分が行動しているために誰かに迷惑や負担をかけているのではないか」「そもそも自分が身勝手なのではないか、我慢したほうがいいのでは」という思いが浮かび、せっかくやる気になっていたのに、及び腰になってしまうことも。

自分さえ我慢すれば……では幸せになれない

 自分は人に迷惑をかけているのではないか。そんな思いで行動する力にブレーキがかかったとき、ぜひ心にとめてほしいのが密教の「自利利他(じりりた)」という考えです。

 密教においては、人は仏としてこの世に生まれ、生まれながらにそれぞれの人が異なる役割を持っている、と考えます。ときには誰かから批判を受けることがあるかもしれませんが、それは「この世における役割がその人とは違う」ということで気にする必要はないのです。密教ではたくさんの仏様がいて、慈悲深く優しい面持ちで人々を救済する観音様、憤怒の形相をして救済するお不動様など、姿形や役割の異なる仏様がたくさんいることでこの世の隅々までが救済される、という考えです。

 そして、自分が純粋な心でやりたいと思うことをやっているのであれば、それは自分の利益(=自利 じり)であるのと同時に、必ず周囲の利益(=利他 りた)にもつながっていくと考えます。

 社会においては、やりたいことを我慢して周囲に気を配り、自己犠牲で周囲の人の幸せを願うことを「美徳」ととらえられがちですね。しかし、そうやって「自分さえ我慢すればうまくいく」というように、自分の気持ちを封じ込めてばかりいるとフラストレーションがどんどんたまります。その結果、感情が決壊して爆発してしまったり、心身のバランスを崩してしまう人も。これでは自分はもちろん、周囲を幸せにすることもできないのではないでしょうか。また、「世の中の人」の中には自分自身も含まれているのですから、世の中のみんなの幸せを願うのであれば、そこに含まれる自分も幸せでなくてはなりません。

 私自身、カウンセリングを通して多くの人とお話しするなかで、「本当に我慢ができる人は、無理をしていない人だ」と感じることがよくあります。

【ミニ知識】人の悩みに関わる仏教用語の深い意味
自利利他(じりりた)
自分が本当にやりたいと思うことをやるのが、この世に生まれた私たちの役割。自分が純粋な心でやりたいと欲することをやっているのであれば、それは自分の利益(=自利)であるのと同時に、必ず周囲の利益(=利他)にもつながっていきます。そうした道を求めるのが「自利利他」という考えです。「自利利他」とは、相手も自分も幸せで楽しく、という考え方です。