差し出した時点で何かを受け取っている

 心穏やかでいられないのは、「してあげたのに」という気持ちがあるから。「させていただいた」という謙虚な気持ちでいることができれば、心が穏やかでいられる。その行為ができることそのものが喜びになるのです。「譲りたくないのに、嫌だなぁ」と思いながら無理やり笑顔を作って席を譲る、という行為のほうを仏教では善しとしません。心の底から喜べないのであれば、必ずどこかにひずみが生じてしまいます。

 誰も感謝してくれないし、自分ばかりが損をしている、と思っていても、あなたが行為を差し出したという事実そのものが尊い、と考えてみませんか。極楽湯のように、あなたが見返りを求めていなくても、気付かないうちに巡り巡ってあなた自身もちゃんと何かを受け取っているのです。

 互いに無償の心や行為を差し出し合うことで温かい関係性が形成されていくという「ペイ フォワード(Pay it Forward)」という言葉があります。AさんがBさんに何かを与える。BさんはAさんにお返しはしないけれど、Cさんに与える。やがて社会には互いを思いやる幸せのループ(輪)が巡っていく。今、「私は誰かに与える一方だ」と思っている人にも必ず誰か助けてくれる人が現れる。または、すでに助けられている。そういうふうに世の中は成り立っているのだと思います。

自分の行為をまるごと肯定するおまじない

 もちろん、現実の職場でどう考えても「自分が不当な扱いを受けている」と思ったときは、甘んじるばかりでなく、勇気を出してアピールし、環境を変える努力も必要です。

 ただ、なかなかそれでも事態が変わらない場合もありますよね。ここで、「どうして自分ばっかり」という考えに固執してしまうと、苦しみは深まるばかりです。そこで、「どうして?」と苦しくなったときに役立つおまじないの言葉をお伝えしましょう。

 それが「ちょうどよかった」という言葉です。

 仏教の「空(くう)」の思想からすれば、世の中には、得なこともなければ、損なこともない。起こった出来事を「得した」「ラッキーだ」と思う自分と、「損した」「アンラッキーだ」と思う自分がいるだけです。

 日々の生活の中で「こうだったらよかったのに」と悔しく思い、なかなかその結果を受け入れられなくてモヤモヤしたときは、とりあえず「ちょうどよかった」とつぶやいてみましょう。この言葉は、すべての出来事を肯定する言葉です。

 人間の脳は矛盾が嫌いなので、悔しく思っている出来事に対して「ちょうどよかった」と言った自分の中の矛盾に耐えきれなくなり、勝手に「なぜ、それがちょうどよいのか」という理由を探し出してくれるはずです。あなたはただ、つぶやくだけ。あとは脳が結論を導き出してくれるのです。

 対価を求めず、「私はこの行為を喜んでやらせてもらっている」と思えるようになれば、心が穏やかになってきます。

 「労力」や「給料」「職位」といった基準ではなく、あなた自身の幸福感を軸に物事をとらえてみましょう。巡り巡ってちゃんと自分も何かを受け取ることができている、という事実に気付くことが増えてくるかもしれません。

今回のアドバイス
「損をしている」と思ったら、「ちょうどよかった」とつぶやいてみよう
仏教では、世の中には損も得もない、ただ、「損だ」「得だ」とこだわる人の心があるだけ、と考えます。損をしている、という気持ちにとらわれてモヤモヤしたら「ちょうどよかった」と言葉にしてみましょう。つぶやくことで、脳が自動的にその理由を見つけてくれます。その結果、導かれた理由を考えれば、損か得か、ということへのこだわりが和らいでいきます。
羽鳥裕明
心理カウンセラー僧侶
羽鳥裕明 1968年生まれ。心理カウンセラー。真言宗智山派 僧侶。大学卒業後、9年間企業でエンジニアとして働いた後、31歳で得度し僧侶となる。悩みを抱える人の身近な存在でありたいという思いから、悩み相談の「駆け込み寺」を開設し、悩みごと相談を行う。著書に『悩みが消えるお坊さんの言葉』(サンマーク出版)
http://hatorihiroaki.com/

取材・文/柳本 操 写真/PIXTA

日経ヘルス2016年9月号掲載記事を再構成

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