見守ってくれる人がそばにいる

 実は、仏教にも、ここがあれば大丈夫、という心の安心基地のようなものを意味する言葉があります。それが「安心(あんじん)」という言葉です。

 どんなことがわが身に起こっても、大きな存在が見守っていてくれるから大丈夫、そんなふうにどっしりとした心の根っこを意味するのが「安心」という言葉です。四国八十八カ所のお寺を巡る「お遍路」が近年、ちょっとしたブームになっていますが、白装束に身を包むお遍路さんがかぶる菅笠や首からさげる巡拝袋には「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉が書かれています。

 険しい道を歩き続けるなか、もう一歩も足を踏み出せない、と思ったときにも「あなたのそばには空海さんが寄り添っていますよ」という強く優しいメッセージが「同行二人」という言葉には込められています。

 考えてみたら、人生は楽しく愉快なことばかりではありません。思いがけないことや理不尽なことも起こります。周囲に頼れる人がいない状態で、難しい仕事を担当している。自分がいくらがんばっても、誰も見ていてくれないし、分かろうともしてくれない気がする。もうどうでもいいや、と思いたくなったときにも「大丈夫、必ずどこかであなたのがんばりを見てくれている人はいますよ」というメッセージを、同行二人という言葉は伝えてくれます。

 心の中の仏様でも、家族や友達でもいい、自分にはいつも寄り添ってくれる存在があるのだ、と思えることは、その人の心を強く支えてくれます。

 このように、心を穏やかにするために「安心できること」がとても大切である、と、仏教も、心理学でも同じようにとらえている、というのは大変興味深いことだと思います。