生活習慣、人間関係、仕事……長く続けていることほど、やめるのは難しいものです。そうして知らず知らずのうちに、抱える「荷物」が増えていませんか? やめることは決して後ろ向きな行動ではなく、むしろ身軽になって、自分が大事にしたいことがよく見えるようになります。実際に「やめること」で人生に新たな展開が生まれ、働き方や生き方の風通しがよくなった人たちに話を聞きました。

 管理職の仕事にやりがいを感じ、私生活も充実。このままずっと走り続けると思っていた林輝美(てるみ)さんは、42歳のときに出会った17歳年下のトルコ人男性と意気投合。求婚されたときはあまりの年齢差にちゅうちょしたものの、「既定路線の人生よりも、せっかくもらった機会に乗ってみよう」と、仕事をやめてトルコへ移住することを決断しました。日本にいたときとは何もかもが変化した暮らしの中で、どんな「人生の軸」を見つけていったのでしょうか。

トルコで待っていたのは経済的に不安定な生活

編集部(以下、略) 実際にトルコで暮らし始めて、それまでと一番変わったことは何でしたか。

林輝美さん(以下、林) 経済的に不安定になったことです。夫がやっている観光ガイドは、地震やテロ、SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行などで長期間仕事がなくなることが頻繁にあったんです。そのため、不動産投資によって安定した収入が得られるようにしました。

 初めはアパートの一室を買って家具付きで賃貸に出していましたが、3年ほどで売却し、そのお金に夫婦で貯金を出し合って6階建ての小さなビルを購入。今は賃貸収入が主な収入源です。

 私は洋服が大好きで、日本で働いていたときは月に10万~20万円くらいを服飾費に充てていました。でも、夫は無駄遣いを一切しない人。何か買いたいなと思っても、「それと似たようなものを5枚は持っているでしょ」とか言われちゃうんです。で、確かにそうだなと(笑)。そのうち、私も本当に必要かよく考えてから買い物をするようになりました。

 自分のことに使うお金は、結婚前から持っていた東京のマンションの賃貸収入で賄っていましたが、年金をもらえるようになってからは余裕ができて、夫とタヒチ旅行に行ったり、イスタンブール市内の五つ星ホテルに泊まりに行ったり。好きなことをするためには経済的に自立しておくことは大事。結婚を決めたときも、万一夫の収入が少なくても、自分の家賃収入で年に1回は日本に帰国できるだろうと心積もりをしていました。

―― 林さん、トルコではお仕事は?

 結婚前は、トルコでもフルタイムで働くつもりでした。でも、夫と私の両親が顔合わせをする直前に父がくも膜下出血で倒れ、介護が必要な生活になったんです。結婚後も年に2回は帰国して母を助ける必要があり、長期の休みが取れるよう、定職に就くことは諦めました。

 父は倒れてから15年後に亡くなり、最後の2年間は寝たきりでした。父の介護を通じて人間がたどる一生の過程を目の当たりにし、多くを学ぶことができました。日本であのまま忙しく働いていたら、全く経験できなかったことだと思います。

トルコに移住後、ボランティアで日本語講座の講師を務めていたときの林さん
トルコに移住後、ボランティアで日本語講座の講師を務めていたときの林さん