夫婦の3組に1組が離婚するといわれる時代。結婚に理由があるのと同様、離婚にもまた理由があります。離婚までの4つの「峠」を経験者に打ち明けてもらいます。

まり子(仮名、45歳、国際開発援助)
27歳でフランス人男性と結婚、43歳で離婚。現在は子供と暮らす

峠1:違和感を抱き始めたとき

責任ある仕事と子育てで燃え尽きた私と、協力してくれない夫

 元夫と出会ったのは二十代の前半、私が大学院にいたときです。そのころのフランスでは成人男子に兵役が義務付けられていましたが、フランス人の彼はグランゼコールと呼ばれるエリート校の1つに在籍中で、兵役の代替として東京にあるフランス政府の関連機関に出向していました。以前の恋人との破局で疲れていた私に、彼はとても積極的にアプローチしてくれました。性格が温厚で、家柄や学歴などの条件も申し分ない彼は、当時私が求めていたヨーロッパの知的階級からの刺激を与えてくれる存在でもあり、付き合うことになりました。

 その後私は政府の給費留学生試験に通って、フランスで大学院を終え、日本の政府機関に就職しました。やがて今の職場への誘いがあったのですが、手続きに時間がかかり、半年ほど空白の期間ができてしまいました。安定志向だった私は精神的に不安定な状態になっていたようです。その時期にプロポーズされ、結婚することにしました。

 結婚生活は穏やかで、バカンスでいろいろな国を旅しました。彼は教養と知識がある人なので、何を話しても満足を得られました。私はフランス語専攻ではなかったのですが、グローバルに働けるまでのフランス語力が身に付いたのは、やはり彼のおかげだったと思います。料理も私と同じくらいできて、人柄が穏やかな彼。一方の私は気が強く、海外への長い出張も多く、また若いころは仕事のストレスをうまくコントロールできなかったので、元夫はかなり苦労したのではないかと今は思います。

パリでの結婚生活。穏やかで知的な彼との暮らしは、私の昇進とともにバランスを失っていった(写真はイメージ)
パリでの結婚生活。穏やかで知的な彼との暮らしは、私の昇進とともにバランスを失っていった(写真はイメージ)

私はフランスになじもうと努力したのに・・・

 義母は義父との関係に疲れていたのに加え、外国人である私にどう接してよいのか分からなかったのか、とてもぎくしゃくしていました。結婚当初から、義母とは全く気が合わないと思っていましたが、同居しているわけではないのであまり気にはしていませんでした。

 2006年に私は昇進してある開発途上国に赴任することになったのですが、夫は仕事の都合で一緒に行けませんでした。2歳にもならない息子を連れて着任したものの、ワンオペ育児で初めての国で働くのは想像していた以上に大変で、私は疲れ果ててパリに戻ることになりました。この経験は、私の中に「自分はフランスになじむために努力し犠牲を払ったのに、夫は世界で活躍するという私の夢のためには協力してくれなかった」というしこりを生んだと思います。

連載「実録 離婚までの4つの峠」では、みなさんの体験談を募集しています。男女問いません。実名は伏せて掲載いたします。

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