創業120余年の老舗・金水晶酒造店の代表取締役社長として経営に奔走する斎藤美幸さん。夫と子どもを東京に残して単身福島市に移り住み、父から譲り受けた酒蔵は、県を代表する銘酒を製造しながらも、慢性的な赤字体質に陥っていた。赤字の連鎖を断ち切るため、斎藤さんが下した決断とは? そして起死回生の秘策となった、報道の世界で培った武器とは?

(上)TV局勤務→専業主婦10年を経て単身帰郷、酒蔵を継承
(下)母親卒業宣言!49歳で福島へ 酒蔵再建に人生を捧げる ←今回はココ

家族と別居しても…24時間働く覚悟で福島へ

 「蔵を継ぎたい」との決意を斎藤美幸さん(56歳)が伝えると、父は驚き、喜びつつ、「継いでほしい思いはあっても、安心して継げる環境をつくることができず、願いを口には出せなかった」と初めて気持ちを打ち明け、「店のことはすべて任せる」と言った。

 夫には「造り酒屋の一人娘と結婚した以上、こんな日が来るだろうと覚悟していた」とあっさり言われた。3人の子どもたちのうち、上2人はすでに大学生で、末っ子は中高一貫の中学校に入学。「少なくとも高校受験はしないですむ。ならばもうお母さんを卒業してもいいんじゃないか……子どもたちには思い切って『お母さんは福島に行く。これからは東京でお父さんと4人、協力して生活して』と伝えました」。専業主婦時代、母親業の予想外の忙しさに、「自分は仕事と家庭を両立できないタイプと悟った」という斎藤さん。“お母さん卒業宣言”は、24時間を完全に仕事に捧げ、傾いた店の立て直しに全力投球する、との覚悟の表れでもあった。

熟成タンクの中で、酒母に麹(こうじ)、蒸米、水を加えて発酵させる。仕込み時に、地方から杜氏が出張してくる蔵が多い中、金水晶酒造店の杜氏は通年雇用。「熟成や瓶詰めの最適なタイミングを見極められることは、おいしさの重要な秘訣」と斎藤さん
熟成タンクの中で、酒母に麹(こうじ)、蒸米、水を加えて発酵させる。仕込み時に、地方から杜氏が出張してくる蔵が多い中、金水晶酒造店の杜氏は通年雇用。「熟成や瓶詰めの最適なタイミングを見極められることは、おいしさの重要な秘訣」と斎藤さん

 実家に戻った斎藤さんがまず直面したのが、酒造りにおけるコスト意識の低さだった。金水晶はこれまで全国新酒鑑評会で何度も金賞を獲得してきた銘酒。父も杜氏(とうじ)もいいものを造らねばとコストを存分にかけながら、「お客さまのため」と、もうけを度外視した安値を付けてきた。当然赤字は膨らむ一方で、近年は、両親の年金を補填し、帳尻あわせをしてきたことが明らかに。

 悩み抜いた末、断行したのが値上げ。「これまで支えてくださったお客様が離れてしまうかもと、怖くてたまりませんでしたが、ほかに手はない。『これでつぶれたら、この蔵に需要がなかったと諦めるより他ない』と自分に言い聞かせ、踏み切りました」。結果、大半の常連客は「今までが安すぎた」と納得して買い続けてくれた。こうして「売れれば売れるほど赤字状態」に歯止めをかけることができた。