安定も、確かな居場所もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。今回登場するのはパーソナルスタイリングサービス「SOÉJU personal(ソージュパーソナル)」を展開するモデラートの代表取締役、市原明日香さん。「仕事のない人生は考えられなかった」という市原さんはコンサルティング会社、高級ブランド、そしてベンチャーへと転職し、キャリアを重ねてきましたが、長男の病気をきっかけに会社を辞めることに。そこから起業するまでの道のりを聞きました。

(上)息子の白血病でキャリアを断念 そこから開けた新たな道 ←今回はココ
(下)「服選び」で起業 サービスを浸透させた意外な一手

医師から突然の告知、人生の区切りが来た

編集部 大手コンサルティング会社から20代でLVJグループ ルイ・ヴィトンジャパンカンパニーに転職し、順調にキャリアを重ねてきた市原さんですが、勤めていた会社を辞めることになったときはどんな状況でしたか?

市原明日香さん(以下、市原) ルイ・ヴィトンからバイオサイエンス系のスタートアップに転職して、2人の子どもを育てながら働いていたときでした。4歳になる手前だった長男に微熱が続いて、風邪が治らないのかなと思って病院に連れて行ったんです。貧血の症状が出ていたので血液検査をしたら、その場で先生から深刻な顔で呼び出しをされて。「落ち着いて聞いてください」と言われ、白血病だと告げられました。その日からすぐ入院することになりました。

 当たり前ですが、全く想像してなかったので、本当に衝撃でしたね。思わず医師に、「私、仕事とか……どうすればいいですかね」と聞いてしまったら、「(仕事は)できないと思ったほうがいいですね」と言われました。病気の告知があった時点で、仕事は辞めることになるんだな、と覚悟しました。

パーソナルスタイリングサービスなどを展開するモデラートを2014年に創業した代表取締役の市原明日香さん
パーソナルスタイリングサービスなどを展開するモデラートを2014年に創業した代表取締役の市原明日香さん

―― それは大変な衝撃でしたね。せっかくのキャリアを中断させたくない気持ちもあったと思いますが、市原さんはどう受け止めていたのですか?

市原 当時は、小さい子を2人抱えてベンチャーで働くという、自分の仕事人生で一番大変な時期でした。夫に対しても「なんで私ばっかり思い切り働けないんだろう」と恨めしく思っていて。病気が分かる前から、気持ちの上でいい状態ではありませんでした。そんなときに息子の病気が分かって。

 夫は現実主義者でしたから、それまでは「これからは共働きが当たり前。一度正社員を辞めると、特に女性は戻るのが大変だからぎりぎりまでしがみついたほうがいい」って言っていました。だから、辞めざるを得なくなったときは「あんなにしがみついてきたのに」という思いはありましたね。これからどうなるんだろう、と。

 すごく残念なんだけど、人生の区切りが来たんだなと。不思議な感じですが、これから人生が変わるんだな…という感覚でした。

―― その後はどのくらい闘病が続いたのですか。